ひとり

どうせ生きてたってひとりで死んだってひとりだ 理解者なんてものは現れないしもうとっくにいらないはず いらない 最近になってなんでこんなに寂しいんだろう ずっと諦められていたことなのにね ひとり ひとりだよ わかってもらえることなんてないよ 報われることも救われることもひとつもないよ このまま毎日 なんにもないフリをして ヘラヘラして 黙って何も言わないまま死ぬしかないんだ どうせ 悲しいな 水の入った浴槽に閉じ込められたことあるか 包丁を投げられたことあるか 真冬に裸足で外に出したままにされたことあるか 毎日毎日 死ね 殺すぞ 出て行けって 部屋のドアに物投げられて ベッドで蹲って音も立てないで泣くしかできなかった そんな気持ちわかるのか わかるわけないよな どうせひとりだよ ずっとひとりだ あのときからずっと時間が止まったままだ もうあのとき死んだんだろう 寂しいよ

おかね

社会は冷たくて厳しい。

学費が払えないから、辞める。決心するまで半年以上かかった。ついにゼミの教授にも話した。教授は責めるでも引き止めるでもなく、そのことをあまり気に病まないようにと話してくれた。器の大きい人だ。

でもその日の夜教授から電話がきて、辞めるとしても学費を払わないといけないらしいと聞いた。

次の日事務に行って聞いたら、まあ、唖然とした。

今から支払っても期限切れだから退学処分。

今年度中に払えなかったら除籍処分された後請求。

 

頭が混乱した。払っても退学。払えなくても請求。どういうことだろう。払っても払わなくても卒業はできない。在学もできない。払わないと退学もできない。ぐるぐるした。

 

除籍されたあと、支払いの期限はどのくらいなのか聞いた。はっきりとはまだわからないけど1年とかそのくらいかもしれないらしい。それでも払えなかったら、裁判になる、って。

 

ますます混乱した。もう訳が分からなかった。事務の人は困った顔をしていた。わかりました、ありがとうございますと言って離れた。ぐるぐる。返済。期限。裁判。法的措置。お金。140万円。1年。訴える。起訴。犯罪。逮捕。ぐるぐる。

 

家に帰ってもずっとそのことを考えていた。訳が分からないまま勝手に涙がでてきて泣いた。裁判。いままで学校にいろんなことで協力した。いろんなことで大学の名前を売った。いっぱい勉強した。いろんな教授と仲良くなった。事務の人たちとも仲良くなった。でもお金が払えなかった。裁判。

 

当たり前のことだ。お金を払う約束で入学した。破ったのはこっち。裏切ったのはこっち。だけど、手のひらを返されたと思ってしまった。社会は冷たくて厳しい。ずっと前から知っていた。知っていたはずなのに。悲しかった。惨めだった。

 

学費を払うためにたくさんバイトをした。そしたら鬱になった。働けなくなった。払えなくなった。どこが間違いだったんだろうと考える。こんなこと、言ってたまるかってずっと思ってたけど、わかってしまった。大学に入ったことがもう間違いだった。所詮無謀だったんだ。馬鹿な夢だったんだ。せいぜい良くて800円の時給で、1人で全部やってやろうなんて。馬鹿。絵に描いた餅。世間知らず。自分には、この悲しい気持ちを話せる相手すらいない。何も無い。消えてなくなりたい。

 

ぜんぶ捨てて、友達みんなと縁を切って、遠くに行きたい。誰も知らないところで死にたい。

ピアス

大学に入ったとき、これまでの人生はなんの価値もないと思っていた。だから、ここで何かを手に掴むのだと思った。結局、それも無価値になった。夢見たことも努力も何一つ報われなかった。自分の21年間は結局なんの価値もない砂漠だ。このまま生きていったら、どうなるんだろう。いつも考える。

 

昨日、4年以上連絡も取らなかった兄と会った。荒れていた兄はもう働き始めて3年目で、立派な大人になっていた。立ち振る舞いも、考え方も。現実を知り、受け入れている大人だった。

自分が甘い夢をいつまでも捨てきれないままくだらない生活をしていることを話した。しょうもないことだとわかっている上で、兄は、夢があることは羨ましいと言った。兄は夢を見たこともないままとりあえず仕事に就いて、それがたまたまいい所で、そこに落ち着いた。夢を探す時間だけを手に入れて、問題を見つけるだけで解決はできないような中途半端な知識を身につけて頭の中で転がしていた自分。そんな自分にとっては夢なんて持っていてもなんの誇れることもない、「なんとなく仕事に就く」ことすらできなくさせた、恥ずかしくて惨めなものだ。現実を見ろ、散々言い聞かせた。なのに、今でもしがみついて離れない。

 

自分がこのまま生きていったとしたらどうなるんだろう。もし、普通に仕事に就いて、普通に生きていけたとしたら。許せない過去も封印して、報われなかった努力も叶わなかった夢も見ないふりをして、だれでもできる仕事をして、生活して、仕事をして、生活して。どうなるんだろう。その先に何があるんだろう。本当はわかっている。何も無いんだ。これまで通り、なんにもない、ただの砂漠が広がっていくんだ。働いていれば与えられる水を飲みながら、どこまでも終わりのない砂漠を歩いて、歩いて歩いて歩いて、歳をとって凝り固まった思考と動かなくなっていく身体を引きずって、乾涸びて死んで、砂漠の砂に埋もれて何も無かったことになるんだ。それが嫌で、怖くて、いつまでも夢を捨てきれない。でも夢なんて叶わない。現実を見ろ。現実を見ろ。現実を見ろ。死にたくてたまらない。

 

この先もし、そうやって平凡に生きていくことができたとして、老いて死んでいくことが怖い。怖くてたまらない。それならばもう、今のまだ若く身体が自由なうちに、馬鹿な夢と共に死にたい。この先ずっとまた砂漠を歩くくらいなら、ここで終わりにしたい。大人になるのは怖い。生きることの何もかもが怖すぎる。なんでみんな、当たり前のように生きていけるんだろう。将来のことを考えたり、結婚したいだとか言ったり、老後の生活費なんかを心配したり。なんで、その時まで生きている前提で話ができるんだろう。なんで怖くないんだろう。自分はもう、怖くて、怖くて、気が狂いそうなのに。

生まれてきたことがもう失敗だった。死ぬのだって、きっと苦しいだろう。ピアスを開ける時みたいに、する前は怖いけど、いざ終わったら全然痛くなかった、なんてオチだったらいい。必要なのは最初の勇気だけだ。いざちゃんと死ねたら、もうそれからは、二度と生まれてしまうことがありませんように。

眠れなくて、結局諦めた。少しだけ意識が落ちていたようだけど、嫌な夢を見て起きた。心臓が痛い。

物心ついた頃から寝つきは良くなかったけど、高校生のときくらいから酷くなった。眠れたとしても夜中に突然目が覚めてしまったり、そのまま朝までまた眠れなかったり。でも身体は疲れているから動けない。大学生になる頃にはほとんど毎日悪夢を見るようになった。

 

何もできずにいる夜の間は嫌なことや理不尽なことばかり思い出す。嫌いなことで頭がいっぱいになる。夜になると苛ついて、「寝る」ということ自体が嫌いになった。一時期3日に1回しか寝ない生活をしていたことが数ヶ月間あったけど、身体はぼろぼろだった。眠れなければ身体が壊れるし、眠れば悪夢を見て心が壊れる。睡眠は生物から切り離せないものだと知ったから、自分が身も心も大丈夫になることなんて無いことも理解した。生きるのに向いていない。

毎晩嫌でも思い出すのだから、一生忘れることなんてできないんだろう。でもそれを望んだのは過去の自分自身だったとも思う。絶対に忘れてやるものか、絶対に許してやるものか、と呪いをかけたのはきっと自分だ。目を背けようとすればするほど、絶対に忘れるな、絶対に許すなと自分が呪っている。あの暴力も否定も恐怖も全て理不尽なもので、決して許されていいはずがない。あの夜包丁を持って憎い人間の寝室のドアの前で震えていた自分しか、その罪を証明できない。殺せと今でも頭の中で恨み言を吐いている。限りなく憎い人間が生きている世界で生きていくなんて無理だった。刃の尖った鋏を買った日に、朝ぼんやりと駅で電車を待っていた日に。あのとき殺せばよかったと、あのとき死ねばよかったと考える日が数え切れないほどある。いつだって夜だ。夜は嫌いだ。

浮かぶ

この前、友人たちと自分も合わせて6人でバーベキューをした。いろんな道具とか食べ物は全部友人たちが用意してくれていたから、自分は前に遊んだときに使った水鉄砲と、水風船を買い足して持って行った。

迎えに来てくれた車に乗って海の近くに住む友人の家に向かう。毎年バーベキューをしている彼らは要領よく準備を進めていき、自分が水風船に水を詰めたり火を起こすのを眺めているうちにあっという間に整った。毎年テントを持ってきていた人が来れなかったから、テントはなし。日陰もなし。灼熱のバーベキューだ。ちなみに、火は起こるものでなく育てるものらしい。意味はよくわからない。

 

昼前から始めて気づいたら夜の8時。ただ喋ったり水遊びをしたりもしたけどいったい何時間肉を焼いていたのか、すっかり片付けも億劫になってだらだらと喋っていた。なんとなく言っておこうと思って、大学辞めることになったんだよねと笑いながら言った。自分より6つも年上の大人な友人たちはやっぱり同級生ほど驚いたりはしなくて、そうなんだとちょうどいい温度で返事をしてくれた。でも、1人だけ真剣なトーンで辞めない方がいいと言って、自分は苦笑いをしてしまった。

 

大学生のうちは自分はなんでもできるような気持ちになるけど、実際何もできない。いくら性格が良くたって、いろんなことを頑張ってきたって、人柄なんて見てもらえない。「大卒」という資格は希少なものでは無いけれど、それがないだけでだいたいのことから門前払いをされる、辞めたらお前が過ごした4年でやってきたことも無駄になる、と。

 

痛かった。耳も頭も心臓も、全部痛かった。既に「社会」に出て何年も働いている真っ当な大人の真っ当な意見は全部正解だ。その言葉の中には自分が起業でつまづいたとき、就職試験を受けたとき、辞める状況に追い込まれたときに自分の首を絞めたことが全部入っていた。何十回何百回と頭を支配して、でも見ないふりをするのが上手くなってきた今突きつけられた正解は正しすぎて苦しかった。何も返せず苦笑いをする自分を突き刺すような視線が暗がりの中でもわかった。正しい大人が真剣に諭してくれているのを笑って誤魔化そうとする自分が情けなかった。でもお金が払えなくて辞めるなら、どんだけ悔しくても親に頭下げて卒業させてもらうべきだと言われた。親や家族は最後の砦だと。それを聞いて、笑うこともできなくなった。

結局逃れられなくて学校を辞める事情を話したら、友人はそれ以上何も言わなかった。どうにかならないかといろんな案を出してくれたけど、全部この数年で自分がたくさん調べて試してだめだったことだったから、どうしようもないことだとわかってくれた。友人の1人は、お前みたいなのがお金なんて事情で学校を辞めないといけなくなるなんて社会の仕組みがおかしいなんて言っていた。自分はやっぱり苦笑いしかできなかった。そのあとは普通にまたふざけた話をして、だらだらと片付けて解散した。楽しかったのに、帰ってから泣いた。

 

 

2週間ぶりの病院で、先生にそのことを話した。辞めることになったけどそれは自分が頑張った結果だから仕方ないとか、全部自分のやったことの結果だから何も理不尽なことなんて無いとか、これからきっとなんとかなるとか、ずっと自分に言い聞かせて納得した振りをして遠ざけていたことを直面させられて苦しかった。でもそれは自分も本当はわかっていたことだったからなんの反論もないどころかその通りだと思った。

 

暴力に耐えた日々も、狂ったように勉強した高校時代も、1人で生きていってやると決意して家を飛び出したことも、体を壊しても毎日バイトをして必死にお金を稼いだことも、たくさん勉強して起業したことも、大学で勉強したことも、部活の体制を作って引っ張ってきたことも、何もかも、全部無駄になってしまった。何ひとつ報われなかった。頑張れば報われるはずだと、報われなかったのは自分のせいだと言い聞かせていたのに、こんな理不尽ならどうやって生きれば良かったんだ。

 

話しながらみっともなく泣いた。先生は黙って聞いてくれた。そのあと、あなたは今悲しい気持ちに向き合っているところなんだねと言った。

悲しい気持ちは嫌なものではなくて、でも向き合うのはとてもつらいけど必要なことだ。悲しい気持ちでいる自分が情けないと思ってしまって、そんな自分を責めたり奮い立たせようと自分自身に石を投げてしまう。でもそうではなくて、そんな自分に優しくしてあげることが大切だと。

悲しいときは悲しいままでよくて、自分が原因じゃない理不尽なことはあって、それを解決しようとしたりバネにしたりしようとしなくていい。

自分自信に石を投げてしまう自分がいてもよくて、それを理解して優しくしてあげる自分もいるようになればいい、と。

 

1年くらい前、友人に言われたことを話した。「例えば10の目標を立てたとして、俺は結果7くらいでもまあありだなと思うけど、お前は10じゃないと全部無駄だったと思っちゃうよな。それもったいなくないか?」

 

それを聞いた先生は、目標の途中で終わったときの満足度を得られるかどうかはその人がそれまでにどんなレスポンスをくれる人と接してきたかによると言っていた。10のうち7で終わってもその分を認めてもらえる人がいる場合といない場合では後者のほうが「10にならなければ」というプレッシャーが強く、間の1から9がなかったことになってしまうらしい。そしてどんなレスポンスをくれる人が周りにいるかは結局運次第で、本人の力でどうこうできることではないと。自分が高校時代、90点を取っても「残念だったね」、100点を取っても「まあいつも通りだよね」と言われてひどく虚しかったことを思い出した。本当は、もっと褒めてほしかった。

 

悲しんでいる間はぐるぐると悩み続けて何も変わっていないと思ってしまうけど、上からみたら繰り返しでも横から見れば螺旋階段みたいにちゃんと少しずつ変化しているよ、と先生は最後に話してくれた。なんだかすごく納得した。そして、あなたは今まで向き合う暇もなくがむしゃらに進んできたけど、今その悲しみと向き合っているんですよ、それだけで十分ですよと言ってくれた。悲しい気持ちに溺れるでもなく、無視して泳ぐでもなく、今はただ、浮かんでいようと思う。

水風船

今日は友人と昼過ぎから遊ぶ約束をしていた。前から一緒にバイオハザードをやろうと言っていたから、たぶんそれだろうと思っていた。少し前に知り合いにテレビを貰ったから、自分の部屋で。

13時過ぎくらいにつくと言っていた友人が着いたのはたしか15時近く。いつものことだからそのくらいだろうと思っていた。いつも荷物をもたない友人が大きな袋を抱えていて、何かと思ったら取り出したのはWiiバイオハザードと、抱えるくらい大きな水鉄砲だった。「おい、水遊びしようぜ!」爆笑した。

ゲームは部屋に置いて、玄関の靴棚からしばらく履いていないサンダルを出して、靴下を脱いでタオルだけ持って家を出た。この前自転車を盗まれたから、20分くらい歩いて公園へ。よくランニングで通っていた高台の公園。道中友人は袋を漁って他にも小ぶりな水鉄砲や大量の水風船を見せてくれた。

外はすごく日差しが強くて暑い。蝉が鳴いて、もうすっかり真夏だ。他愛もない話をしながら公園に着いたら、まず水鉄砲に水を入れて試し打ちをした。大きいのはもちろんだけど、思っていたより小さい水鉄砲がよく飛んだ。公園にはちらほら人がいたけど、近くにはいなかったから撃ち合いをして遊んだ。少し遊んだら水風船に水をいれた。蛇口が水を飲む用と手を洗う用で上下にひとつずつあったから、2人でどんどん水風船爆弾を作った。すっかり濡れていたから暑くはなかった。水風船でキャッチボールをすると、友人はキャッチが上手くてなかなか濡れなかったけど、結局最後はどっちも頭から足までずぶ濡れだった。大学生くらいの歳になると遊ぶといえば食事か飲み会で、まあそれもいいんだけどやっぱりこういう遊びが1番楽しい。

ふと周りを見ると人がいっぱい歩いていて、みんなケータイを見ていた。あれみんなポケモンGOだろ、と友人は言っていた。たしかにそこの公園は田舎にある数少ないポケストップだったと思う。リリースされた当初はときどきやっていたけど、アメリカで捕まえたケンタロスのデータが無くなってから嫌になってやめた。あまりにもぞろぞろと人が歩いているから何かイベントなのかと思った。

かき氷の出店が出ていたから、買って食べながら帰った。レモン味。友人はブルーハワイ。今年初のかき氷は美味しかった。

帰りに、学校のこととかも話した。友人は単位が足りなくて留年になって、辞める気でいたが家族にとめられたこと。自分は結局、辞めることになったこと。親のこと。普通に他の人に話したら重たく受け取られるようなことも、お互いにさらっと聞いて答えられるから、話しやすかった。なんとか手探りで生きている。自分が大学に入ったことで得られたものの大部分に、この友人は含まれると思う。無駄ではなかったのだと思える。時間がなくなったから、バイオハザードはまた今度。ホラーは苦手だから、ちょっとだけ安心。