ピアス

大学に入ったとき、これまでの人生はなんの価値もないと思っていた。だから、ここで何かを手に掴むのだと思った。結局、それも無価値になった。夢見たことも努力も何一つ報われなかった。自分の21年間は結局なんの価値もない砂漠だ。このまま生きていったら、どうなるんだろう。いつも考える。

 

昨日、4年以上連絡も取らなかった兄と会った。荒れていた兄はもう働き始めて3年目で、立派な大人になっていた。立ち振る舞いも、考え方も。現実を知り、受け入れている大人だった。

自分が甘い夢をいつまでも捨てきれないままくだらない生活をしていることを話した。しょうもないことだとわかっている上で、兄は、夢があることは羨ましいと言った。兄は夢を見たこともないままとりあえず仕事に就いて、それがたまたまいい所で、そこに落ち着いた。夢を探す時間だけを手に入れて、問題を見つけるだけで解決はできないような中途半端な知識を身につけて頭の中で転がしていた自分。そんな自分にとっては夢なんて持っていてもなんの誇れることもない、「なんとなく仕事に就く」ことすらできなくさせた、恥ずかしくて惨めなものだ。現実を見ろ、散々言い聞かせた。なのに、今でもしがみついて離れない。

 

自分がこのまま生きていったとしたらどうなるんだろう。もし、普通に仕事に就いて、普通に生きていけたとしたら。許せない過去も封印して、報われなかった努力も叶わなかった夢も見ないふりをして、だれでもできる仕事をして、生活して、仕事をして、生活して。どうなるんだろう。その先に何があるんだろう。本当はわかっている。何も無いんだ。これまで通り、なんにもない、ただの砂漠が広がっていくんだ。働いていれば与えられる水を飲みながら、どこまでも終わりのない砂漠を歩いて、歩いて歩いて歩いて、歳をとって凝り固まった思考と動かなくなっていく身体を引きずって、乾涸びて死んで、砂漠の砂に埋もれて何も無かったことになるんだ。それが嫌で、怖くて、いつまでも夢を捨てきれない。でも夢なんて叶わない。現実を見ろ。現実を見ろ。現実を見ろ。死にたくてたまらない。

 

この先もし、そうやって平凡に生きていくことができたとして、老いて死んでいくことが怖い。怖くてたまらない。それならばもう、今のまだ若く身体が自由なうちに、馬鹿な夢と共に死にたい。この先ずっとまた砂漠を歩くくらいなら、ここで終わりにしたい。大人になるのは怖い。生きることの何もかもが怖すぎる。なんでみんな、当たり前のように生きていけるんだろう。将来のことを考えたり、結婚したいだとか言ったり、老後の生活費なんかを心配したり。なんで、その時まで生きている前提で話ができるんだろう。なんで怖くないんだろう。自分はもう、怖くて、怖くて、気が狂いそうなのに。

生まれてきたことがもう失敗だった。死ぬのだって、きっと苦しいだろう。ピアスを開ける時みたいに、する前は怖いけど、いざ終わったら全然痛くなかった、なんてオチだったらいい。必要なのは最初の勇気だけだ。いざちゃんと死ねたら、もうそれからは、二度と生まれてしまうことがありませんように。