優しい人

眠れない。今日は部活があった。といっても同級生だけで自主的に集まっただけだけど。

 

ズルズルと続けていた部活、ついに辞める気持ちがついた。諦めがついた。

あと数日で迎える本番に向けての練習中。1ヶ月後にある次の舞台に向けて、久しぶりに何か新しいものをやってみないかと提案してみた。

 

返事は優しくて無責任で曖昧だった。そうだ、いつもそうだ。

 

「あー、」とか「久しぶりに?」とか、明るい声で言う。そして、こちらの様子を伺ってくる。

否定はしない。やる気があるような素振りだけをして、好印象を与えるようなふりだけをして、肯定もしない。

 

いつも決めるのは自分だった。提案するのも、決断するのも全部自分。否定して意見をぶつけあうのを避け、肯定して責任を負うのも避ける。ずるい。卑怯だ。調和するふりをして、みんな卑怯者だ。卑怯者。そうやって、何かをする過程でやらないといけない大変なことを知らないふりして、最後の結果だけを受け取ろうとするんだ。卑怯者。

 

様子を伺ってくるメンバーを見て、ほんの少し残っていた未練もふっと切れた。試しに何も言わないでみたら、誰も何も言わなかった。「まあいっか」って言って、終わりにした。3日後に、これも終わりにする。

 

 

何もできない。家に帰って、ぼうっとしていた。バイト先の後輩が手を捻挫したらしくて、代わりに出勤できないかと店長から連絡がきた。適当な理由をつけて断った。何もしていないのに、忙しいふりをして逃げている。

 

 

この前あった新年度のガイダンスも結局行かなかった。行く気もなかった。就活がどうのとか髪色がどうのとかどうでもいいこととかをいっぱいいわれて嫌な思いをするだけだろう。考えただけで吐きそうになる。

 

 

学費は払えないし、辞めても払うお金が増えるし、目標もないし、やりたいこともなくなったし、眠れないし、今までやったことも全部だめになったし、部屋は寒いし、なにもかもやる気がないし、なにもわからない。

 

なんで生きてるんだろう。生まれたら生きないといけないなんて残酷すぎる。死んだら必ず誰かに迷惑をかけるし、簡単じゃない。

 

 

なんで他人の勝手で生まれたのに、苦しんで、死ぬことを選んだとしても痛い思いや怖い思いをしないといけないんだろう。

 

辛かったことで成長できるとか、時間が経てばいい思い出になるとか、そんな誰にでも思いつく綺麗事を語るハッピーエンド主義者が大嫌いだ。根本的には幸せだからそんなことが言えるんじゃないのか。自分が乗り越えた困難をまるで人類最大のイベントのようにして、だから乗り越えられるという。人が抱える状況も経緯も問題の数も質もバラバラで酷く複雑で、残りの寿命全部使ったって説明しきれないくらいなのに。

 

 

高校生だったとき、学校も家も何もかもが苦しくて、一度だけ担任の先生に話してみたことがあった。優しい女の先生。人に相談事をしたことなんてほとんどなくて、家の本当のことを言うのが怖くて、情けなくて、悲しくて、うまく話せなくて、そのくせ勝手に涙が出ていた。

 

自分の話を少し聞いて、先生はいろいろきれいなことをいったあと、「そのつらいことは全部あなたを成長させる」と励ました。

 

 

全部冷めた。話した自分が馬鹿だったと思った。おまえも同じ目に遭えよと思った。同じ目にあったおまえに、同じことを言ってやりたいと思ったし、今すぐに掴みかかって殴り殺したいと思った。けど全部消えた。ありがとうございましたと言って帰って、そのあと先生とは卒業まで、事務的な話とか天気の話みたいな空っぽの会話だけした。

 

ハッピーエンドにしようとするのは、そうしないとつらいからだろう。他人の理不尽でつらい話を聞くのは、自分もつらい。ハッピーエンドだってことにして、そのひとよりも自分を幸せにしたいのだ。